考えるヒント

想像すること(想像力)をまとめてみました。誰もが参考になるものでもないと思いますが、参考にできるなら幸いです。※ページネームは、名著「考えるヒント」(小林秀雄)のリスペクトです。

知識と経験から人間は想像し文明を作り進化してきた。

直感、第六感、予知、洞察は、すべて想像することで得られる結果であり、なにもないところから生み出されたものではない。想像のアウトプットのひとつとして創作がある。学問などもいろんな観点を想像した結果、分野としてまとめられたものであるともいえる。言葉や文字も元を質せば、想像の産物であり創作されたものである。

特に科学的な分野は見えない部分が多く、想像に想像を重ねなければいけない。また、数を扱う数学という学問は特に異質である。『数』自体も想像し定義されたものだが、それを応用したものはもっと想像しがたいものである。

どちらかというと、科学的な想像について考察してみる。

人間の想像したもので、もっとも論理的で知性を育み文明を発展させたものではないかと思う。もちろん言葉や音楽なども知的文明の礎であるのだが、その言葉や音楽をも表現方法として取り込んでしまった数は汎用性でも優れたものだろう。※文字や音楽も数値で表すことが可能であるということ。

ただし、「数」の羅列だと意味をなさないかもしれない。それに意味を持たせることが想像でなせる業で、様々なものごとに応用し発展させてきた。「数」の意味は麻薬のように作用する場合がある。論理的である故に人に偏見をもたらす力になってしまう可能性がある。「数」の持つ力を客観的に理解できればいいのだが、意味を理解せず「数」の信奉者になってしまうのは危険である。

注)確率や統計のすべてが正しいとは思わない。もちろん与えられた条件が的確であれば正しい結果が得られるだろう。だからといって、必ずしもマジョリティが正しいとは限らないということである。なにが正しいかを判断できる想像を身に付けることが大事なのである。

数とは

「数」に意味を持たすと、1の次は2となり、1+1=2となる。これを定義するという。定義しなければ、1と1は同じなのか、なぜ足すと2になるのかということを立証しなければならない。十進数で9の次は位を上げて10とするのも定義だし、0で割ると無限大ではなく解なしとなるというのも同様だ。ただし、0自体が特殊扱いなので解釈は難しい。

「数」を扱う学問である数学は、定義の学問と呼んでもいいだろう。逆に、定義の学問だから汎用性が高いともいえる。

分数

「数」を考察する一例として分数をあげておく。数学は、いろいろ難しい概念があり、定義の学問といったが、定義の上に定義が成り立っているので途中でわからなくなるとついていくのが困難になる。

「分数」を解釈するだけで理解できる部分も多いと思う。動画にしてみたので参考に視聴してみてください。逆にわかりづらくなったら、たぶん作り方が悪かったのだと思うので申し訳ない。

動画の評価はともかく、ただ形式を覚えてもためにならないというのが持論です。意味を理解しようとすることが、「数」であり、それを想像して作り上げていく「数学」の面白さだと思う。

時間と空間

当たり前のように存在している概念かもしれないが、実はかなりアバウトなものでもある。いま居る場所が空間であり、時間が勝手に経過している。そうだといえばそうであるし、そういう風に教えられたからそうであるともいえる。そこに想像する楽しみがある。

ニュートンのころは絶対的な概念であったのかもしれないが、相対性理論によって絶対性は否定された。天動説・地動説の例もある。素粒子の変遷もある。新しく発見されていくのが科学であるし、その源が想像する力である。

では、時間とか空間というのはなんなのか。定義された概念としかいえない。ただ、それによって現実の事象が解明され、応用されてきた経緯を考えると間違ったものではなかったのだろう。だからといって、当たり前のものであると考えると面白くない。もっと想像するところに価値があるのではないか。

例えば、こんな想像を組み立ててみた。個人的にずっと考え込んでいたことで一応の区切りまで持っていけたことでちょっと満足している。もう少し数学ができれば数式化できたかもしれない。

バランス理論
バランス理論(概要)本理論は、想定と想像で構築した理論であり、既存の理論や仮説を前提としたものではない。よって、根拠やエビデンスを示せと言われてもなにもない。強いて言えば、なにもないことから考えたことが唯一の根拠である。アインシュタインは光...

様々な解釈があり、新たな想像が新たな発見を促す。ただし、論理的な解釈と偏執的な解釈の違いは区別しなければならない。地動説・天動説の悲劇が生じてしまわないように想像する自由を守らなければならない。

宇宙

地球も宇宙の中のひとつの惑星と考えると身近なものである。地球からは宇宙の全方向が見えるから宇宙地図のようなものも作れる。でも、人間にとっては遠く果てしないもので、永遠の命があったとしても解明できるものではないだろう。

宇宙の黎明

ハッブルの発見で宇宙が一様かつ等方的に膨張していることがわかり、ある一点から爆発が起こり宇宙が広がったというビッグバン説が主流になっている。

現宇宙

ハッブルの発見で宇宙が一様かつ等方的に膨張しているようだということはわかった。観測結果は結果として、それを満たす推論は他にもある。多次元宇宙など複数の宇宙が存在するという理論もある。ブラックホールの存在も観測されている。そして、最近はなにもないとされていた宇宙空間がダークマター(暗黒物質)で満たされているのではないかなど、新しい事象も確認されている。

宇宙の終焉や外側など

一様に広がっているから、それがあるときから収縮するとかある時点で止まるとか、いつかの想像がなされている。宇宙の外側は光より早く動いていて、そこに光の地平線があるようなこともいわれている。いずれも確証は得られていないだろう。

いろいろ想像できるからSF(Science Fiction)が数限りなく作れる。どういう構造かを想像するのも面白いし、他に地球のような環境の星があり異星人が住んでいる想像をするのも面白い。宇宙への想像はその存在以上に深いのである。

微小な世界

宇宙のような巨視の世界をマクロ、その逆に素粒子のような微小な世界をミクロという。ミクロの世界も解明されていないことが多い。素粒子論でいうと、複数種類の素粒子の組み合わせで物質が構成されていることが提唱されている。人間の可視できる範囲は限りなく少なく、粒子や電波を使ってその挙動から解析するしかない。

量子力学の世界

物質を分解すると、分子の組み合わせになり、さらに原子の組み合わせとなる。原子は、電子と原子核からなり、原子核は陽子と中性子からなる。物質の根本を知る作業で、それ以降も加速器というもので粒子をぶつけて新しい素粒子が発見されていった。物質の性質を追求する理論とともに組み合わせによる素粒子論が成立した。ミクロの世界の素粒子の動作は、量子力学で表されている。量子力学は確率でその動作を予測する。

研究者たちはもっとシンプルな結果を望んでいたと思う。見えない世界は往々にして複雑で予想だにしない結果を生む。素粒子論だけでなく、プランクの量子仮説や量子力学をまとめたディラック、光量子を提唱したアインシュタインなどが関わっている。専門家として追及するのもいいが、普通に考えると非常に矛盾を感じないか。素粒子なのにひとつではなく、その組み合わせで性質を決めるという。また、量子力学では確率で予測するので、同じ実験をしても結果が変わるのである。

他にも状態を説明する理論はある。自分の体を見て、そういった物質から成り立っているのが不思議でたまらない。

生物

目先は違うが、生物を考えるのも想像が必要である。生物自体は人間含めて観察や構成要素を分析することである程度わかっているが、なぜこれだけの生物が地球上に生まれ存在しているのか。まだまだ未知の生物は多いし、解明していることの方が少ないようだ。特に深海は宇宙より解明されていないともいわれている。実際には超深海でも生物は確認されている。人間の理知の及ばない世界が存在するのである。

どうして生物が生まれる必要があったのか

カンブリア紀(約5億年前)に爆発的な生物の発生(多様化)があったという。環境や生存条件が整ったためからだ。つまり、そのときに生物が生存できる条件が地球全土で整ったのだろう。発生した場所で生存していく条件が異なったので多種多様になったのだろう。必要性があったかは不明だが、水という液状で存在できた物質によって、偶然で生物が誕生したのだと思われる。

生物(細胞)はどうして生まれたか

卵が先か鶏が先かという論争もあるが、生物は細胞によって構成されていて、そのつらなりによって形成されている。大元である細胞がどうして生まれたのか。個人的には、やはり水という特殊な流体の中で偶然に偶然を重ねて有機物が構成され、さらに偶然に偶然を重ねて細胞が構成されたと想像する。実験では、有機物までしか確認できないようだが、とつもなく長い年月で試行錯誤を繰り返し、有機物が繰り返し変化できるような仕組みが作り上げられたと想像している。

母集団の限定されていない確率は試行によって必然に近づくのである。もちろん、宇宙から飛来した古細胞かもしれないが、その古細胞もどこでどうやって発生したのかという同様な問答になる。この世で予期できると考えられることの方が稀なのである。

植物が動物を作り出した

植物が発生した後、酸素が作られて動物が発生した。この動植物が生まれたことが多様化を加速させた。植物としては、動物が種子を運ばれることで生息範囲を広げられた。動物も植物からの需給によって生存が可能になっていって、ひとつの共存関係ができたのだ。環境に順応できる生物が生き残っていく、いわゆる自然淘汰によって推移していく。人間が現状ではもっとも環境に順応できた生物なのだろう。しかし、人間は自らの手によってバランスを崩し、その優位性を破棄しようとしている。それも自然淘汰といえば、否定できるものではない。

ほかにも

想像することに限りはない。特に人間の考えていることはわけがわからない。他人事でいっているわけではなく、自分で考えることや想像していることもよくわからないのである。「もっと考えればわかることだろう」というだろうけど、考えるのをやめた人が多いのだ。これだけの文明を築いたのは、人間の知恵と力のたまものであるが、それを破棄するのも人間の知性のなせる業かもしれない。

想像し考えることをやめたとき、自然淘汰されるのだろう。そんなときが訪れないことを期待している。いろいろなことを想像し、できるかぎりの考え方を示したいと思っている。

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